51歳、脱サラして3年、生れ育った石垣島の土と太陽にまみれる毎日です。
はじめまして。ひらまこ商店ひらまこです。
もし、あなたが今、
「このままでいいんだろうか?」
「人生の後半戦、どう生きようか?」
そんな風にふと空を見上げることがあるなら、ほんの数分だけ、僕の少し風変わりな物語にお付き合いいただけないでしょうか。
東京のオフィスで夢見た、石垣島の青い空
大きな決断をしたのは、48歳の時でした。
20年間勤め上げた会社を辞め、故郷・石垣島で自分の商売を始める。周囲から見れば、あまりに無謀な挑戦だったかもしれません。
20年の会社員生活は、転勤の連続でした。
10年は石垣島。残りの半分は家族を石垣島に残し、沖縄県内を8年、そして東京で2年。いわゆる単身赴任です。
満員電車に揺られ、東京のオフィスビルで働いていた時、何度、故郷の青い空を思ったことか。安定した給料と引き換えに、子供たちの成長をすぐ側で見られない時間。島の仲間たちと笑い合えない夜。
そして、それだけではありませんでした。僕の両親のことも頭にありました。いつか介護が必要になるかもしれない。その時、単身赴任の僕が遠くにいて、妻にばかり負担をかけるわけにはいかない。寂しさに加え、家族に対する責任感が、僕の心の羅針盤を故郷へと向けていました。
このまま会社員を続けるべきか。でも、独立して今の給料を稼げなかったら、家族を路頭に迷わせてしまうのではないか。そんな不安と自問自答を繰り返す中で、それでも抑えきれない想いが、はっきりと形になっていきました。
「自分の手で何かを創り、育て、それが誰かの喜びに繋がる。そんな“実感”のある生き方がしたい」
その想いはもう、無視できる大きさではありませんでした。
こうして僕は、安定という名の船を降り、もう一度、家族の待つ石垣島の土の上に立つことを決めたのです。
原点。おばぁの言葉と、雷に打たれた「壺焼き芋」
ひらまこ商店の看板商品は、特製の壺でじっくり焼き上げた「壺焼き芋」です。
「なぜ、南の国で焼き芋?」
その答えは、僕の子供時代にあります。
僕は昔から、とにかく芋が大好きでした。おやつといえば、芋天ぷら。その食べっぷりを見て、おばぁちゃんはいつも笑いながら僕をこう呼んだのです。
「あっこんふぁやー」と。
石垣島の方言で「芋をよく食べる食いしん坊」といった意味の、愛情のこもったあだ名です。
そんな僕の芋好き人生を揺るがす出会いが、ある日訪れます。
それが「紅はるか」でした。口にした瞬間、まるで蜜を凝縮したような濃厚な甘みと、ねっとりクリーミーな食感に、文字通り、雷に打たれたような衝撃を受けたのです。
「この感動を、この島の人たちにも届けたい!」
“あっこんふぁやー”だった少年時代の僕の想いと、大人になった僕の衝撃が重なり、さつまいもの世界へ飛び込む決意をしました。最高の「紅はるか」を求め、最高の焼き方である「壺焼き」製法に辿-り着いたのは、必然だったのかもしれません。
アツアツじゃない? 僕が「冷凍焼き芋」にこだわる理由
ひらまこ商店の焼き芋は、最高の状態を閉じ込めた「冷凍」でお届けしています。
これには、確固たる理由とメリットがあります。
1.いつでも、最高の感動を。
冷凍だから、季節は関係ありません。冷凍庫にある安心感が、日常を少しだけ豊かにしてくれます。
2.美味しくて、ヘルシーな「ギルトフリースイーツ」。
さつまいもは冷やすと、体に嬉しい食物繊維とレジスタントスターチが増えると言われています。美味しくて、健康にも良い。まさに罪悪感なく楽しめる、最高のスイーツです。
3.栄養の塊、「準完全栄養食品」。
ビタミンやミネラルが豊富なさつまいもは、それ自体が栄養の宝庫です。
最大の挑戦。「なぜ、わざわざ不向きな土で?」
僕の最大の夢は「正真正銘の石垣島産紅はるかの壺焼き芋」をお届けすること。そのために今、農業経験ゼロから、この島の畑と向き合っています。
沖縄といえば、鮮やかな紫色の「紅芋」が有名です。この土地は、紅芋を育てるのにはとても適しています。しかし、僕が惚れ込んだ「紅はるか」にとっては、決して楽園ではないのです。
それでも、僕は挑戦したい。
不向きな土地で、試行錯誤の末に実った一粒の恵みは、きっと多くの人に勇気を与えられると信じているからです。
焼き芋屋、だけじゃない。もう一つの原点
僕の挑戦は、畑の中だけにとどまりません。島の子供たちのためのパソコン教室や、地域のITサポートも、僕の大切な仕事です。
「なぜ、焼き芋屋がパソコン?」
実は、芋と同じくらい、僕が子供の頃から夢中だったもの。それがパソコンでした。
小学生の頃、友達の家で触ったMSXのゲームに衝撃を受け、父がシャープの真っ赤なパソコン「X1」を家に持ってきたときは、嬉しくてしょうがありませんでした。。
外部記憶装置は、いまでは信じられませんが、まだカセットテープの時代。パソコン雑誌のBASICプログラムを必死に打ち込んでは、画面に図形が描かれるだけで大興奮していました。
中学生の時、友達の家でNECのPC-98に触り、フロッピーディスクという魔法のような板の存在を知りました。
大学ではMacと出会い、あの半透明のiMacが発売された時は、欲しくてたまらなかったのを覚えています。
僕にとってパソコンは、いつだって未来へのワクワクそのものだったのです。
結び:大地の恵みを育て、人を育てる。この島で、生きていく。
僕が人生をかけて成し遂げたいこと。
それは、この生まれ育った石垣島で「大地の恵みを育て、島の未来を担う人を育てる」お手伝いをすることです。
畑で紅はるかを育てることは、「大地の恵みを育てる」こと。
パソコン教室で子供たちの好奇心や可能性を引き出す応援をすることは、「人を育てる」こと。
ITサポートで地域のビジネスの成長を後押しすることもまた、島の未来を担う「人材を育てる」ことに繋がると信じています。
子供の頃、おばぁに「あっこんふぁやー」と呼ばれた僕。
カセットテープにプログラムを保存していた、パソコン少年だった僕。
そのすべてが線となって繋がり、今の「ひらまこ商店」になりました。
「石垣島から世界へ!」
壮大すぎると笑われるかもしれません。でも、僕は本気です。
この小さな島からでも、世界を感動させる美味しいものや、世界で活躍できる素晴らしい人材は生まれる。その一助となるべく、僕の挑戦は、これからも続きます。
長くなりましたが、僕の新しい履歴書を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この物語の続きを、時々、覗きに来てくださると嬉しいです。
